全ての始まりは、100円から-
学童に入って、約3か月ー
小一の私の学童保育への不満はピークに達していました。
夏休みがあった8月は、それは幸せの日々でした。
母親の育休明けということもあり、夏休みに休みを多く取ってもらえたようで、母親はほとんど家で過ごしていました。
そのため、私も、夏休み中は学童に行くこともなく、公園に大量に発生するセミを捕まえたり、汗びっしょりになるほど、友達と走り回って遊んでいました。ディズニーが好きな可愛らしい女の子の家を、友達と尋ねてみたこと。突然の夕立に遭い、友達とすべり台の下で雨宿りしたこと。素敵な思い出ができました。
しかし、9月。あの窮屈で退屈な学童が始まりました。人見知りもあったため、未だに友達はできません。おやつタイムすらも、楽しくありませんでした。
もう限界まで達していた、ある朝。
私は学校に行きたくないと母親にごねました。
理由を聞いてきた母親に、
学童は、何も楽しいことがない、外でいっぱい遊びたい。その思いを、私は、母親に泣きすがりながら、伝えました。
母親は、私を信じてくれて、「じゃあ、今日はお家に帰ってきなさい。鍵は玄関のポストに隠しておくから、自分で入りなさい」と、答えてくれました。
私は、心底嬉しかった。生まれて初めて、自由を手にした気分でした。
それからは、学童に行くのも、週3回、週2回と減っていき、とうとう学童での友達は誰一人できないまま、学童をやめることになりました。
でも、それ以上に、私は近所の子と遊べて、幸せでした。私は鍵っ子となり、いつもランドセルに鍵を付けていて、学校が終わると、誰もいない家に帰るなり、玄関に荷物を投げすて、大好きな公園に遊びに行きました。
公園の流行りの遊びも変わっていて、木登りやサッカーから、キックベースや野球が人気の遊びとなっていました。週末に慌てて、グローブを母親に頼み、おもちゃみたいなグローブを持って、夢中になってボールを追いかけました。
しかし、一つ問題がありました。
公園で夢中になって遊んでいても、お腹が空くのです。
友達は、みんな家に帰ってから、用意してあるおやつを食べてくるのですが、私は何も食べるものがありません。
もともと、放任主義だった母親は、おやつの用意もしなかったので、私は、日が暮れるころまで、何も食べれませんでした。
あまりにもお腹が空くので、私は母親におやつの用意をお願いしました。
次の日から、クッキーやあられが用意されるようになったのですが、母親は、大雑把なところもあり、何も用意されていない日がよくありました。
そんな日は、空腹に耐えながら遊んで、母親の帰りを待ちました。季節は、秋が深まる頃で、夕暮れが早く、空腹と暗さと寂しさが本当に辛かったです。
そして、とうとう母親とけんかになりました。私は、おやつを用意されていないことを、母親に訴えました。しかし、母親も忙しかったので、毎日のおやつに構ってられなかったようでした。
そして、ついに母親が啖呵を切り、「これから、おやつの代わりに100円置いておくから、それを持って、おやつを買ってきなさい。」
私は、次の日から、家に帰るなり、目を輝かせながら、100円玉を持って、あるところに通うようになりました。
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