すべてがいやいやになった、幼少期の私
私は小学校1年生から、毎日、おこづかいをもらっていました。
決して、裕福な家庭であったわけではありません。しかし、おこづかいとして、小学生の間、毎日100円ずつもらっていました。
当時、私は小学1年生。
入学式前日、明日はまるでお祭りがあるかのように、わくわくしたことを覚えています。
母親の仕事の関係で、私は小学校から少し遠い保育園に通っていたので、小学校入学時には友達は1人もいませんでした。でも、とにかく楽しみでした。
これが後に、私を悩ませる種になるとは思いもしませんでした。
入学式は、どきどきわくわく楽しみの気持ちいっぱいで、入学式から、初対面の同級生に話しかけたり、気になる女の子はいないか気にしてみたりとしていたのを覚えています。(恥ずかしがり屋だったので、女の子には声をかけられませんでした)
幸いにも、外で遊ぶことは好きな性格だったので、学校が終わると、近所の公園に行き、自分と同じ新1年生を見かけると、一緒に楽しく遊びました。
おにごっこをしたり、虫探ししたりと、新鮮なことばかりでした。マンション団地だったため、公園にはいつも誰かは子どもがいました。面倒見の良い上級生にも恵まれ、おもしろいことや知らない遊びをたくさん教えてもらえました。
例えば、公園には、子どもが登れる丁度の良い木がいくつも育っていたので、上級生から、自分のお気に入りの木を見つけることを教えてもらいました。そこで、木登りして、お菓子を食べたり、お気に入りの物を枝や葉っぱにかけたり、友達とおしゃべりしたりと、今までしたことのない遊びばかりでした。
今の時代では、あぶないと言われるかもしれませんが、当時は、落ちてもドジだなぁで済んだ話でした。
木登り以外にも、サッカーをしたり、すべり台でおにごっこをしたり、その公園の流行りの遊びがあり、毎日公園に行くことが最大の楽しみとなっていました。私は、近所の子を中心に友達の輪ができつつありました。
しかし、そんな楽しい毎日は続きませんでした。入学してから、1か月半ほど経つと、私は、毎日、下校後に帰宅せず、学校から直接、学童保育に通うことになりました。
私は弟がいるのですが、母親の育休がちょうどその5月頃に終わり、母親が職場復帰することとなりました。父、母、自分、弟の4人家族で、下校後の私の面倒を見る人が誰もいないため、学童に入ることは、予め決まっているようでした。
「明日から学童に行くんだよ。楽しめると思うよ」母親のその一言から、地獄の日々の始まりでした。
入学してから1か月半後に、学童保育に入った私。同級生であるはずの新1年生も、その頃には、学童の雰囲気になんとなく慣れ、完全に私一人が新参者でした。
何をしていいのかも分からず、聞きたくもない本の読み聞かせを聞き、外に遊びに行って良い時間になったら、おにごっこしかできない。
何より、その時の私の友達は近所の子だけだったので、学童には全く友達がいません。年上の女の子たちが面倒をみるように、一緒に遊んでくれたのですが、ごっこ遊びは、自分にとってはとても退屈でした。
女の子たちがすぐに声をかけてくるので、逆に、学童の気の合いそうな活発な男の子と遊ぶ機会を失い、余計に一緒に遊べる友達ができません。
公園で楽しんだ木登りも、上級生が教えてくれる知らない遊びもない。女の子ばかりじゃなくて、ちょっと悪さも教えてくれる男の子と遊びたい。
そんな自分の気持ちを察したのか、一緒に遊んでくれた女の子も、私に声をかけなくなり、自然と離れていきました。
とうとう私は孤立してしました。何をしていても、退屈。やりたいことをやれない。自由がない。そんな憂鬱な日々を過ごしていました。