教育とお金

教育とお金に纏(まつ)わる記事

子どもの自らの学びから、さらに深めたいー。

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100円玉を握りしめて、向かった先は駄菓子屋。
クリーニング店を営みつつ、店の空いたスペースで菓子が無数に並んでいました。
100円でも、いろんな菓子から選ぶことができました。

毎日100円で好きなお菓子を買いました。学校の帰り道は、いつも駄菓子屋のことばかり考えていました。

ある日のこと。
どの菓子を買おうかな・・。駄菓子、駄菓子。
どれを買うかの楽しい悩み。近所の子どもたちもたくさん集まっていました。
我こそ先にと、店のおばちゃんの前に並ぶ子どもたち。
その時、私は様子をうかがっていました。

そこで、ふとあることに気付いたのです。
「今日は、100円分しか買えないけど、明日まで待てば、200円分になるぞ」
人生初めての貯金でした。
公園では、友達がおいしそうに菓子を食べていましたが、自分には全く羨ましくありませんでした。

上級生が、「今日は菓子ないの?欲しいなら、やるよ」と言ってくれましたが、断りました。
変な奴と思われたかもしれませんが、自分にとっては、今日の菓子より明日の菓子が楽しみでなりませんでした。

結局、次の日は、ココアシガレットとグミ、10円ガム、ヨーグルトのようなもの、チョコなど、たくさん買いました。
誰にも見られたくない秘密の贅沢な菓子のような気がして、公園のお気に入りの木に登りました。
いつもの枝の上に腰掛けると、贅沢を存分に味える、そう思いました。

しかし、いざ食べ始めてみると、思ったほどの嬉しさはありませんでした。
食べているうちに、「こんなに食べても、もったいない。もっと別のことに、お金を使おう。」と思い始めたのです。そこから私のお金に対する価値観は、お金は使うものから貯めるものへと変わりました。

毎日通っていた駄菓子屋も、週に1度ほどになりました。
あとは貯金。母親から、タンスの引き出しの一角を、自分専用にもらったので、いつもそこにお金を入れていました。
学校から帰って、お腹が空いたときは、冷蔵庫に入っていたご飯を自分でレンジで温めたり、みかんやりんごをかじったりして食べていました。

そんな日々を送っていたので、小学3年生には料理に興味をもち、日曜は自分から料理がしたいと言うようになりました。
また、駄菓子屋では、いろんなことを経験しました。

まず、人が菓子を嬉しそうに買っていても、流されないこと。
本当に自分に必要なものか、店先で考えるようになりました。

次に、お店には消費税がつくこと。
小学校の低学年では、まだ消費税が3%で、駄菓子屋の値札は消費税込みの値段だったのですが、中学年から5%になると、値札+不足の消費税を取られるようになりました。

これは、あまりにもショックで、社会の仕組みは急に大きく変わることがあるんだなと学びました。

そして、お金をここぞと使うときには使う。
当時、ミニ四駆が大流行していたので、周りの友達みんなが自分のミニ四駆マシンを持っていました。
タイヤをスポンジタイヤに変えたり、モーターのギアを高速ギアにしたり、ボディを肉抜きしたりと、マシンの改造がブームでした。

10歳の私もミニ四駆に大はまりし、毎日マシンを走らせていました。
ある時、6年生の男の子に、マシンの自慢をされたので、自分は言い返してしまい、けんかになりました。
決着は、レースをして、どっちが速いか決めることになりました。

 

レースまでは1か月あったので、私は、今まで貯めていた2万円でパーツを買い漁り、マシンを改造しまくりました。
結果は、僅差で勝利。ミニ四駆以外で、6年生に勝てることなんて滅多にないので、最高に嬉しかったです。

 

他にも、6年生のときに、コロコロコミック中村俊輔選手のサインが1名様に当たる応募があることを知り、郵便局で、はがきを250枚買いました。もちろん、宛名、住所など全て手書きではがきに記入し、投函しました。

 

結果は、残念ながら当選とはなりませんでしたが、Tシャツが1枚と残念賞のシューズ入れ袋が大量に送られてきました。
処分に困ったので、友達にあげると、友達がものすごく喜んでくれて、一時的にすごい人気者になりました。

 

他にも、Jリーグ選手のカードが入ったポテトチップスを一度に100袋買って、カードを抜き取ったポテトチップスを友達に配りました。その後もこつこつと買ったのですが、今でも、その時のカードは1枚1枚フィルムに入れられ、大切に保管してあります。

 

レアカードが何枚もあるので、子ども心に、このカードたちを寝かしておけば、将来、買ったときの値段よりも高く売れると考えていました。

 

私は、小学生の間に、貯金とお金を豪快に使うことを繰り返してきました。
小学生で100万円を貯めることはできませんでしたが、お金の見方を変える経験や人間性を学ぶことができました。

 

始めにも、書いた通り<私自身は、小学生で100万円を貯めることはできませんでした。>

 

しかし、小さい時から自分のお金として管理してきたので、基本的にはいつもお金を大切にしていました。

 

だからこそ、今もお金にはシビアです。買う前には、本当に必要なものか、もっと同じ値段で優れたものはないか調べる習慣があります。

 

大人になってからは、さらにお金の大切さを意識し、使うところと貯めるところを意識して、同僚との飲み会や趣味のフットサルを続けながら、年間200万円以上貯めることができています。

 

子どもにお金の教育は当然必要です。
知識としてだけでなく、何より経験が重要なのです。

 

「これは買ってはダメ」、「あれなら買っても良い」。親が子どもに言うだけになっていては、子どもに考える力が身につきません。

 

今の社会は、物があふれています。
これからの社会は、自分で自分をコントロールし、本当に自分が必要なものかを考える力がないと、無駄遣いや高値で買わされることになってしまいます。

 

おじいちゃん、おばあちゃん世代の働き盛りは、ほとんど物がなく、とにかくお金を作り、物を買えばそれだけで裕福になっていく時代でした。

 

しかし、今は違います。
今まで必要とされなかった教育が、これからは必要になってきます。
子どもが正しくお金を使う。これは、思っている以上に難しいことなのです。

 

私の考える金融教育は、小学生で100万円を貯めることが目標ではありません。 今あるお金への見方を少し変えるだけで、世界がガラッと変わります。

 

親が手塩にかけた育てた子が、大学生や社会人になって、ギャンブルや浪費で借金を作ってしまったら、親にも子にも不幸なことです。

 

だからこそ、今、お金の教育「金融教育」が必要です。始めは、100円からでもいい。
始めませんか。金融教育。

 

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子どもの自らの学びから、さらに深めたいー。

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100円玉を握りしめて、向かった先は駄菓子屋。
クリーニング店を営みつつ、店の空いたスペースで菓子が無数に並んでいました。
100円でも、いろんな菓子から選ぶことができました。

毎日100円で好きなお菓子を買いました。学校の帰り道は、いつも駄菓子屋のことばかり考えていました。

ある日のこと。
どの菓子を買おうかな・・。駄菓子、駄菓子。
どれを買うかの楽しい悩み。近所の子どもたちもたくさん集まっていました。
我こそ先にと、店のおばちゃんの前に並ぶ子どもたち。
その時、私は様子をうかがっていました。

そこで、ふとあることに気付いたのです。
「今日は、100円分しか買えないけど、明日まで待てば、200円分になるぞ」
人生初めての貯金でした。
公園では、友達がおいしそうに菓子を食べていましたが、自分には全く羨ましくありませんでした。

上級生が、「今日は菓子ないの?欲しいなら、やるよ」と言ってくれましたが、断りました。
変な奴と思われたかもしれませんが、自分にとっては、今日の菓子より明日の菓子が楽しみでなりませんでした。

結局、次の日は、ココアシガレットとグミ、10円ガム、ヨーグルトのようなもの、チョコなど、たくさん買いました。
誰にも見られたくない秘密の贅沢な菓子のような気がして、公園のお気に入りの木に登りました。
いつもの枝の上に腰掛けると、贅沢を存分に味える、そう思いました。

しかし、いざ食べ始めてみると、思ったほどの嬉しさはありませんでした。
食べているうちに、「こんなに食べても、もったいない。もっと別のことに、お金を使おう。」と思い始めたのです。そこから私のお金に対する価値観は、お金は使うものから貯めるものへと変わりました。

毎日通っていた駄菓子屋も、週に1度ほどになりました。
あとは貯金。母親から、タンスの引き出しの一角を、自分専用にもらったので、いつもそこにお金を入れていました。
学校から帰って、お腹が空いたときは、冷蔵庫に入っていたご飯を自分でレンジで温めたり、みかんやりんごをかじったりして食べていました。

そんな日々を送っていたので、小学3年生には料理に興味をもち、日曜は自分から料理がしたいと言うようになりました。
また、駄菓子屋では、いろんなことを経験しました。

まず、人が菓子を嬉しそうに買っていても、流されないこと。
本当に自分に必要なものか、店先で考えるようになりました。

次に、お店には消費税がつくこと。
小学校の低学年では、まだ消費税が3%で、駄菓子屋の値札は消費税込みの値段だったのですが、中学年から5%になると、値札+不足の消費税を取られるようになりました。

これは、あまりにもショックで、社会の仕組みは急に大きく変わることがあるんだなと学びました。

そして、お金をここぞと使うときには使う。
当時、ミニ四駆が大流行していたので、周りの友達みんなが自分のミニ四駆マシンを持っていました。
タイヤをスポンジタイヤに変えたり、モーターのギアを高速ギアにしたり、ボディを肉抜きしたりと、マシンの改造がブームでした。

10歳の私もミニ四駆に大はまりし、毎日マシンを走らせていました。
ある時、6年生の男の子に、マシンの自慢をされたので、自分は言い返してしまい、けんかになりました。
決着は、レースをして、どっちが速いか決めることになりました。

 

レースまでは1か月あったので、私は、今まで貯めていた2万円でパーツを買い漁り、マシンを改造しまくりました。
結果は、僅差で勝利。ミニ四駆以外で、6年生に勝てることなんて滅多にないので、最高に嬉しかったです。

 

他にも、6年生のときに、コロコロコミック中村俊輔選手のサインが1名様に当たる応募があることを知り、郵便局で、はがきを250枚買いました。もちろん、宛名、住所など全て手書きではがきに記入し、投函しました。

 

結果は、残念ながら当選とはなりませんでしたが、Tシャツが1枚と残念賞のシューズ入れ袋が大量に送られてきました。
処分に困ったので、友達にあげると、友達がものすごく喜んでくれて、一時的にすごい人気者になりました。

 

他にも、Jリーグ選手のカードが入ったポテトチップスを一度に100袋買って、カードを抜き取ったポテトチップスを友達に配りました。その後もこつこつと買ったのですが、今でも、その時のカードは1枚1枚フィルムに入れられ、大切に保管してあります。

 

レアカードが何枚もあるので、子ども心に、このカードたちを寝かしておけば、将来、買ったときの値段よりも高く売れると考えていました。

 

私は、小学生の間に、貯金とお金を豪快に使うことを繰り返してきました。
小学生で100万円を貯めることはできませんでしたが、お金の見方を変える経験や人間性を学ぶことができました。

 

始めにも、書いた通り<私自身は、小学生で100万円を貯めることはできませんでした。>

 

しかし、小さい時から自分のお金として管理してきたので、基本的にはいつもお金を大切にしていました。

 

だからこそ、今もお金にはシビアです。買う前には、本当に必要なものか、もっと同じ値段で優れたものはないか調べる習慣があります。

 

大人になってからは、さらにお金の大切さを意識し、使うところと貯めるところを意識して、同僚との飲み会や趣味のフットサルを続けながら、年間200万円以上貯めることができています。

 

子どもにお金の教育は当然必要です。
知識としてだけでなく、何より経験が重要なのです。

 

「これは買ってはダメ」、「あれなら買っても良い」。親が子どもに言うだけになっていては、子どもに考える力が身につきません。

 

今の社会は、物があふれています。
これからの社会は、自分で自分をコントロールし、本当に自分が必要なものかを考える力がないと、無駄遣いや高値で買わされることになってしまいます。

 

おじいちゃん、おばあちゃん世代の働き盛りは、ほとんど物がなく、とにかくお金を作り、物を買えばそれだけで裕福になっていく時代でした。

 

しかし、今は違います。
今まで必要とされなかった教育が、これからは必要になってきます。
子どもが正しくお金を使う。これは、思っている以上に難しいことなのです。

 

私の考える金融教育は、小学生で100万円を貯めることが目標ではありません。 今あるお金への見方を少し変えるだけで、世界がガラッと変わります。

 

親が手塩にかけた育てた子が、大学生や社会人になって、ギャンブルや浪費で借金を作ってしまったら、親にも子にも不幸なことです。

 

だからこそ、今、お金の教育「金融教育」が必要です。始めは、100円からでもいい。
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全ての始まりは、100円から-

学童に入って、約3か月ー

小一の私の学童保育への不満はピークに達していました。

 

夏休みがあった8月は、それは幸せの日々でした。

母親の育休明けということもあり、夏休みに休みを多く取ってもらえたようで、母親はほとんど家で過ごしていました。

 

そのため、私も、夏休み中は学童に行くこともなく、公園に大量に発生するセミを捕まえたり、汗びっしょりになるほど、友達と走り回って遊んでいました。ディズニーが好きな可愛らしい女の子の家を、友達と尋ねてみたこと。突然の夕立に遭い、友達とすべり台の下で雨宿りしたこと。素敵な思い出ができました。

 

しかし、9月。あの窮屈で退屈な学童が始まりました。人見知りもあったため、未だに友達はできません。おやつタイムすらも、楽しくありませんでした。

 

もう限界まで達していた、ある朝。

私は学校に行きたくないと母親にごねました。

理由を聞いてきた母親に、

学童は、何も楽しいことがない、外でいっぱい遊びたい。その思いを、私は、母親に泣きすがりながら、伝えました。

 

母親は、私を信じてくれて、「じゃあ、今日はお家に帰ってきなさい。鍵は玄関のポストに隠しておくから、自分で入りなさい」と、答えてくれました。

 

私は、心底嬉しかった。生まれて初めて、自由を手にした気分でした。

それからは、学童に行くのも、週3回、週2回と減っていき、とうとう学童での友達は誰一人できないまま、学童をやめることになりました。

 

でも、それ以上に、私は近所の子と遊べて、幸せでした。私は鍵っ子となり、いつもランドセルに鍵を付けていて、学校が終わると、誰もいない家に帰るなり、玄関に荷物を投げすて、大好きな公園に遊びに行きました。

 

公園の流行りの遊びも変わっていて、木登りやサッカーから、キックベースや野球が人気の遊びとなっていました。週末に慌てて、グローブを母親に頼み、おもちゃみたいなグローブを持って、夢中になってボールを追いかけました。

 

しかし、一つ問題がありました。

 

公園で夢中になって遊んでいても、お腹が空くのです。

友達は、みんな家に帰ってから、用意してあるおやつを食べてくるのですが、私は何も食べるものがありません。

もともと、放任主義だった母親は、おやつの用意もしなかったので、私は、日が暮れるころまで、何も食べれませんでした。

 

あまりにもお腹が空くので、私は母親におやつの用意をお願いしました。

次の日から、クッキーやあられが用意されるようになったのですが、母親は、大雑把なところもあり、何も用意されていない日がよくありました。

そんな日は、空腹に耐えながら遊んで、母親の帰りを待ちました。季節は、秋が深まる頃で、夕暮れが早く、空腹と暗さと寂しさが本当に辛かったです。

 

そして、とうとう母親とけんかになりました。私は、おやつを用意されていないことを、母親に訴えました。しかし、母親も忙しかったので、毎日のおやつに構ってられなかったようでした。

 

そして、ついに母親が啖呵を切り、「これから、おやつの代わりに100円置いておくから、それを持って、おやつを買ってきなさい。」

 

私は、次の日から、家に帰るなり、目を輝かせながら、100円玉を持って、あるところに通うようになりました。

 

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すべてがいやいやになった、幼少期の私

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私は小学校1年生から、毎日、おこづかいをもらっていました。

決して、裕福な家庭であったわけではありません。しかし、おこづかいとして、小学生の間、毎日100円ずつもらっていました。

 

当時、私は小学1年生。

入学式前日、明日はまるでお祭りがあるかのように、わくわくしたことを覚えています。

母親の仕事の関係で、私は小学校から少し遠い保育園に通っていたので、小学校入学時には友達は1人もいませんでした。でも、とにかく楽しみでした。

 

これが後に、私を悩ませる種になるとは思いもしませんでした。

 

入学式は、どきどきわくわく楽しみの気持ちいっぱいで、入学式から、初対面の同級生に話しかけたり、気になる女の子はいないか気にしてみたりとしていたのを覚えています。(恥ずかしがり屋だったので、女の子には声をかけられませんでした)

 

幸いにも、外で遊ぶことは好きな性格だったので、学校が終わると、近所の公園に行き、自分と同じ新1年生を見かけると、一緒に楽しく遊びました。

 

おにごっこをしたり、虫探ししたりと、新鮮なことばかりでした。マンション団地だったため、公園にはいつも誰かは子どもがいました。面倒見の良い上級生にも恵まれ、おもしろいことや知らない遊びをたくさん教えてもらえました。

 

例えば、公園には、子どもが登れる丁度の良い木がいくつも育っていたので、上級生から、自分のお気に入りの木を見つけることを教えてもらいました。そこで、木登りして、お菓子を食べたり、お気に入りの物を枝や葉っぱにかけたり、友達とおしゃべりしたりと、今までしたことのない遊びばかりでした。

 

今の時代では、あぶないと言われるかもしれませんが、当時は、落ちてもドジだなぁで済んだ話でした。

木登り以外にも、サッカーをしたり、すべり台でおにごっこをしたり、その公園の流行りの遊びがあり、毎日公園に行くことが最大の楽しみとなっていました。私は、近所の子を中心に友達の輪ができつつありました。

 

しかし、そんな楽しい毎日は続きませんでした。入学してから、1か月半ほど経つと、私は、毎日、下校後に帰宅せず、学校から直接、学童保育に通うことになりました。

 

私は弟がいるのですが、母親の育休がちょうどその5月頃に終わり、母親が職場復帰することとなりました。父、母、自分、弟の4人家族で、下校後の私の面倒を見る人が誰もいないため、学童に入ることは、予め決まっているようでした。

 

「明日から学童に行くんだよ。楽しめると思うよ」母親のその一言から、地獄の日々の始まりでした。

 

入学してから1か月半後に、学童保育に入った私。同級生であるはずの新1年生も、その頃には、学童の雰囲気になんとなく慣れ、完全に私一人が新参者でした。

 

何をしていいのかも分からず、聞きたくもない本の読み聞かせを聞き、外に遊びに行って良い時間になったら、おにごっこしかできない。

 

何より、その時の私の友達は近所の子だけだったので、学童には全く友達がいません。年上の女の子たちが面倒をみるように、一緒に遊んでくれたのですが、ごっこ遊びは、自分にとってはとても退屈でした。

 

女の子たちがすぐに声をかけてくるので、逆に、学童の気の合いそうな活発な男の子と遊ぶ機会を失い、余計に一緒に遊べる友達ができません。

 

公園で楽しんだ木登りも、上級生が教えてくれる知らない遊びもない。女の子ばかりじゃなくて、ちょっと悪さも教えてくれる男の子と遊びたい。

 

そんな自分の気持ちを察したのか、一緒に遊んでくれた女の子も、私に声をかけなくなり、自然と離れていきました。

とうとう私は孤立してしました。何をしていても、退屈。やりたいことをやれない。自由がない。そんな憂鬱な日々を過ごしていました。

金融教育<これだけ守れば大丈夫!5つルール>

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それでは、家庭での、金融教育の実践に移りましょう。

この5つのルールを基本とします。

 

ルール1

・1か月のおこづかいは、「年齢×400円」。

 (例:7歳の子であれば、1か月で、7歳×400円=2800円)

ルール2

・子どもが買う物に、親は口出しをしない。

ルール3

・おこづかいをもらったら、すぐに一定額を貯金もしくは投資。

ルール4

・学校で必要な用具について、代金の半額は、子どもがおこづかいから出す。

ルール5

・毎月、おこづかい帳をつける。

 

以上の5つのルールです。

読んでいて、えっ!と思ったところもあったと思われますが、きちんと理由があります。詳しくは、次の記事をご覧ください。

 

 

 

始めよう、金融教育<子どものお金への考え方>

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毎月どころか、毎日気になる家計。
この先、将来お金は大丈夫かしら。誰もがもつ悩みです。
それなのに、わが子が欲しがるのは、本当に必要?と思うようなものばかり。

家庭で、実践できるお金の教育が必要となります。
教育とお金をつなぐことで、子どもに以下のような力が身につきます。
 
 
予想される金融教育の成果
1.自分で考えて、判断できるようになる

2.欲望を抑えて、衝動買いをなくすことができる

3.自分の感情に気づき、感情をコントロールすることができるようになる

4.物を大切にする心が育つ

5.社会や経済への関心をもつようになる
 
ここで、金融教育とは、
お金や金融の様々なはたらきを理解し、それを通じて自分の暮らしや社会について深く考え、自分の生き方や価値観を磨きながら、より豊かな生活やよりよい社会づくりに向けて、主体的に行動できる態度を養う教育である。 
 と、ウィキペディアに記してあります。

実際に、金融広報中央委員会「知るぽると」からも、金融教育の必要性があるとされています。

もともと、日本にはあまり浸透していませんが、教育とお金をつなぎ合わせることは、金融教育やマネー教育として呼ばれています。
 
家庭でも、実践できる「金融教育」によって、学習面だけでなく、生活面でもかしこい子に育ててみましょう。